元巨人軍松井秀喜の成績とは?甲子園での伝説?メジャーでの成績は?

 今回は“ゴジラ”こと『松井秀喜』について紹介します。

あの長嶋茂雄と共に『国民栄誉賞』を受賞するまでに至ったその功績とはいったいどんなものでしょうか。

 

 

目次、

 

プロフィール

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基本情報

名前:松井秀喜(まついひでき)

生年月日:1974年6月12日(43歳)

出身地:石川県能美市(いしかわけんのみし)

身長:188cm

体重:95kg

選手情報

背番号:55

ポジション:外野手

打席:右投左打

最高年俸:13億円(ヤンキース時代)

経歴(括弧内はチーム在籍年度)

・星稜高等学校

・読売ジャイアンツ(1993~2002)

・ニューヨーク・ヤンキース(2003~2009)

・ロサンゼルス・エンゼルス(2010)

・オークランド・アスレチックス(2011)

・タンパべイレイズ(2012)

 

松井秀喜が残した記録、功績

これまで多くの日本人選手がメジャーリーグに挑戦しましたが、これほどまでに輝かしい成績を収めた選手はそうはいません。

では、彼は具体的にどんな素晴らしい成績を残したのでしょうか。

 

ワールドシリーズMVPの快挙

日本で掴んだ栄光を捨てて、2003年にメジャーリーグへと移籍した松井は強豪ニューヨーク・ヤンキースで4番を任されるなど実績を積み重ねました。

 

2009年には、6年ぶりのワールドシリーズ進出を果たし、13打数8安打3本塁打8打点、打率.615という記録を叩き出し、スタジアムのファンから「MVP!」の大歓声が沸き起こる程でした。そして、ヤンキースの9年ぶりの世界一に貢献し、日本人選手初のワールドシリーズMVPに選出されたのです。

 

また、「日本シリーズとワールドシリーズの両方でMVPを獲得した初の選手となりました。

 

日本のスター選手→メジャーリーグ挑戦

という流れを作ったのも松井であったといえます。

 

面白いエピソード

ここからは松井秀喜に関する面白いエピソードを紹介していきます。

ニックネームの由来や甲子園での伝説などをわかりやすく紹介します!

“ゴジラ”の由来

松井秀喜の“ゴジラというニックネームはマスコミが付けたものでした。松井が一学年上の先輩から『怪獣』と呼ばれているというのを耳にしたからだそうですよ。風貌や迫力がゴジラの様だったからという説もありますね。

 

当時、松井は「ゴジラなんて勘弁してくださいよ。もっと可愛いニックネームはないんですか?」と不満気だったそうです。

 

しかし、甲子園での活躍で日本全国に“ゴジラ”の愛称が広まり、観念したそうですよ。

 

伝説の5打席連続敬遠

松井が高校3年生の夏の甲子園でのことです。当時、世代最強の打者である松井を当然どの高校も警戒していましたが、2回戦の対戦校『明徳義塾高校』の“松井対策”は徹底していました。

 

その内容とは、“松井とは一切勝負をしない”というものでした。その結果、松井は明徳義塾戦の5打席全て敬遠され、一度もバットを振ることなく甲子園を去ったのです。

 

※敬遠とは、バットが届かない程のボール球を投げ、わざと四球にすることでその打者との勝負を回避すること

 

敬遠自体は立派な作戦ですが、ランナーの有無やアウトカウント、点差などを一切無視した“とにかく松井は全部敬遠”作戦には批判が殺到しました。

 

スタンドからは「勝負しろ!帰れ!」などの明徳義塾に対するヤジやメガホンや物が大量に投げ入れられ場内は騒然となりました。

 

翌日も新聞やニュースに取り上げられ、高校野球の在り方について議論が行われ社会問題にまで発展しました。

 

飛ばしすぎて左打ち

少年野球時代、元々は右打ちだったそうなのです。しかし、あまりにも打球を飛ばす為に野球仲間であった兄とその友人が、松井を打てなくする目的で強引に左で打つように勧め、左打ちに変更したんですよ。

 

ということは、右打ちのままだったらもっと凄い選手になっていたのか?と憶測してしまいます。

 

まとめ

日本人選手でワールドシリーズMVPを獲得するような選手が今後現れるでしょうか。

 

彼の活躍は多くの日本人に勇気を与え、その活躍以降、日本からメジャーリーグに挑戦する選手が増えました。

日本の野球のレベルアップに貢献した偉大な選手といえるでしょう。