長嶋茂雄の伝説や逸話!名言と記録や成績も!息子もプロ野球選手?

 

今回は“ミスタープロ野球”こと『長嶋茂雄』について紹介します。

あの王貞治を差し置いて、ミスタープロ野球と称される所以とは?

 

 

プロフィール

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基本情報

名前:長嶋茂雄(ながしましげお)

生年月日:1936年2月20日(82歳)

出身地:千葉県佐倉市

身長:178cm

体重:76kg

選手情報

背番号:3(永久欠番)

ポジション:三塁手

打席:右投右打

経歴(括弧内はチーム在籍年度)

・千葉県立佐倉第一高等学校

・立教大学

・読売ジャイアンツ(1958~1974)

 

王貞治と共に伝説のV9時代を牽引しました。

V9とは読売ジャイアンツが9年連続で日本一に輝いたことですよ。

 

長嶋茂雄が残した記録、功績

“記録の王、記憶の長嶋”という言葉がありますが、実際にどんな“記憶に残るプレー”をしてきたのでしょうか。

長嶋茂雄が残した記録や功績を紹介しますよ。

 

新人であわや三冠王!?トリプルスリー!?

“三冠王”とは、1人の選手が1シーズンに『首位打者、最多本塁打、最多打点』の3つのタイトルを獲得することであり、打者にとって最高の栄誉なんです。

 

1958年のルーキーイヤーに長嶋は本塁打王と打点王の二冠を達成します。惜しくも首位打者争いは2位となり、新人で“三冠王”という伝説には届きませんでした。

 

また、一塁ベースの踏み忘れで幻のホームランとなった1本を入れれば、新人で“トリプルスリー”も達成していたところでした。

 

トリプルスリーとは、1人の選手が1シーズンに『打率3割、30本塁打、30盗塁』を達成することであり、好打者の証となっています。

近年では、2015年に山田哲人(ヤクルトスワローズ)、柳田悠岐(ソフトバンクホークス)の2人が達成したことで、流行語大賞にノミネートされるなど話題になりましたね。

 

天覧試合でサヨナラホームラン

1959年、昭和天皇が試合を観戦するというプロ野球史上初の天覧試合が行われました。

 

巨人対阪神で迎えたこの歴史的一戦は、両者譲らない点の取り合いとなりました。4対4で迎えた9回裏でしたが、天皇皇后両陛下の観戦できる時間が、21時15分までと決まっていたため、それまでに決着がつかなかった場合にどうするか関係者たちが頭を悩ませていました。

そのとき、9回の先頭打者の長嶋がサヨナラホームランを放ち、約束の時間3分前に決着をつけてしまったのです。

 

長嶋茂雄という選手は、みんなが打って欲しい場面で打ってくれるような、大一番の大事な局面で結果を残してきた特別な“なにか”を持った選手です。

“記録”こそ王貞治には及びませんが、そんな特別な長嶋の姿にファンは熱狂し、数十年経った今でも語り継がれています。これが長嶋茂雄が“記憶の長嶋”といわれる所以です。

面白いエピソード、名言

ここからは長嶋茂雄に関する面白いエピソードや名言を紹介していきます。

天然で有名な彼らしい迷言も残していますよ。

 

引退表明の翌日

1974年、中日が20年ぶりのリーグ優勝を決めて巨人のV10が消えた日、とうとう長嶋が引退表明をしました。

その翌日のスポーツ新聞の一面は、『長嶋引退』の記事一色となり、中日のリーグ優勝は隅に追いやられてしまいました。彼の引退とは、それ程の社会的ニュースだったのです。

 

そして、引退セレモニーでは「我が巨人軍は永久に不滅です!」という言葉を残しました。

 

長嶋茂雄という選手がいかに野球ファンから、いや日本中から愛されていたかがわかるエピソードですね。

 

素手でバッターボックスに立った!?

チャンスにとても強い選手だったがために、ピッチャーから敬遠されることも多かったのですが、ファンを第一に考える長嶋は敬遠が嫌いでした。

 

※敬遠とは、バットが届かない程のボール球を投げ、わざと四球にすることでその打者との勝負を回避すること

 

敬遠に対する抗議として、長嶋はバットを持たずに打席に入ったことが2度もあります。

それでもピッチャーは四球を選び長嶋を一塁に歩かせました。

 

時には、敬遠球を無理やり打ちにいきランニングホームランにしたり、タイムリーヒットにしたりとどこまでもファンを楽しませてくれる選手だったのです。

 

天才だとわかる迷言

ある日少年野球教室で、「球がこうスッと来るだろ」「そこをグゥーッと構えて腰をガッとする」「あとはバァッといってガーンと打つんだ」と説明したそうです。

 

たぶん彼のことなので、本当に真剣に教えてこれだったのでしょう。天才すぎて常人には理解できませんね。

 

まとめ

かつてプロ野球よりも学生野球の方が人気が高かった時代に、スーパースター長嶋茂雄がプロ野球の人気に火をつけました。

長嶋茂雄が今のプロ野球の礎を築いたと言っても過言ではないでしょう。

 

まだまだたくさんのエピソードや名言、笑える迷言があるので、気になった人はぜひ調べてみてくださいね。